How I came to chose a Cyclotouring bike


私が最初のツーリング車を購入した1990年代後半、ビギナーやツーリストにはMTBが人気で、ロードレーサーは本格派の選択肢。ツーリング車というカテゴリーは皆無。店頭でツーリング車を見るのは、ほとんど不可能。そういう時代でした。

学生だった当時、旅行で京都の町をプラプラと散策していたときのこと。京都の町は、バス移動が基本。慣れていないとうまく使いこなせません。どこへ移動するのも観光客の私にはストレス。そんなとき「そうだ、自転車があれば!」と、ふと思い立ちました。


とりあえず、電車に載せられるモデルにしよう。当時の私は、大抵のスポーツ自転車は電車に載せられることを知りませんでした。知識ゼロからの自転車選びスタートです。

最初は、折りたたみ自転車を探しました。だって、折り畳めば簡単に持ち運べそうでしょう? ところが安価なものは、折り畳んで「運ぶ」シチュエーションを想定していなくてNG。本格的なものというと、モールトンやBD-1、ブロンプトンe.t.c...。どれも初心者の私からすると、目が飛び出るほど高価。絶対コレ、という気持ちがなければ手がでません。

そうしているうちに輪行(Rinko)について知った私。だったら、大きなタイヤの自転車のほうがいいな。そんな風に思ったのを覚えています。そこでイメージしたのが…


映画『自転車泥棒』に出てくるような自転車。時代はファウスト・コッピが活躍した1940年代後半。
初心者の私には自転車のディテールなんてさっぱり。イメージしていたのは、ちょっとレトロでカワイイ自転車、という程度。シンプルなグラフィックでホリゾンタルのフレーム、レザーサドル、ハンドルはドロップハンドル、という具体的な憧れができました。

『THE GOLDEN AGE of HANDBUILT BICYCLES』(RIZZOLI刊) より

ところがこれが、意外と難しい。調べていくうちに、新たな難題にぶちあたりました。そもそも既成のスポーツ自転車には、身長155cmの私に合うサイズが、驚くほどなかったんです。サイズって知っていましたか? それまでお買い物用の軽快車にしか乗ったことがなかった私。自転車にサイズがあるなんて、知りませんでした。あのときの衝撃は今もはっきり覚えています。

バイクショップで相談すると、店員は「あなたのサイズはMTBしかない」と躊躇いもなく言います。少し専門的な店に行けばロードレーサーも置いていたけれど、私の身長に合う自転車は決まって、お花柄でピンク色の「女性用モデル」。結局、どこへ出かけても「あなたのサイズであなたの言うカワイイ自転車はありません」と言われる始末。

悪路を走破したいわけでも、レースで速く走りたいわけでもなく、私にとってのカワイイ自転車で旅行がしてみたかった。だから、バイクショップでMTBは走破性が高いですよと薦められても、ロードバイクならもっと速く走れますよと言われても、心はちっとも踊りません。高いお金を払ってまで買う意味が見いだせない。だって、私がほしい自転車は「ちょっとレトロでかわいい自転車」。目的は、輪行しやすくて、のんびり楽に走ることのできる自転車だったのです。


幸か不幸か、私の周りには自転車に興味を持っている人はゼロ。そんな私が調べていくうちに出会ったのが、当時、東京・神田に店を構えていたツーリング車の専門店「ALPS」でした。

ひと目惚れでした。

あれこれ探していたけれど、“長距離を快適に走る”ことを目的としている、と、うたっている自転車店はアルプスだけ。しかも聞けば、サイズと色をオーダーできるというではないですか! シンプルなグラフィックで、レザーサドルも選べます。これしかない! と、即決でした。かなりの予算オーバーだったけれど、アルバイトの時給をすべて自転車に使うことに決め、念願のツーリング車を手に入れることができました。


ちょっと長くなったけれど、これが私の最初の自転車との出合い。このとき迷わずツーリング車を選んだことが、今も自転車ツーリングを続けていることにつながっています。走り方も、荷物のまとめ方も、計画の立て方も、そして何より自転車ツーリングの楽しみ方も、大切なことはぜんぶ自転車が教えてくれました。あれから十数年経って、今はC.S HIROSEのツーリング車に乗っています。そんな、C.S HIROSEとの出合いは、またいずれ。
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Concours de Machine 2016



昨年、夏に訪ねたフランス。その目的は、フランス南部の街、アンベール(Ambert)で開催されたConcours de Machine(コンクール・マシン※)という、ハンドメイド自転車のイベントへの参加でした。すでに、バイシクル・クオータリーでは記事になっていますが、今年も6月29日〜7月2日に開催されるので裏話をちょこっとお届けします。

コンクール・マシンとは、1934年から1949年にかけて開催された、最良の自転車を探求することを目的とした伝説的なイベントです。ルネ・エルスやアレックス・サンジェといったフレームビルダーが最先端の技術を用いて自転車の可能性を探る自転車を作り、競い合いました。評価基準は、軽量化と耐久性、走行に好ましい性能を備えているかという点。各フレームビルダーは優秀なライダーと協働することで約700kmにも及ぶグラベルロードを走り、その性能を証明しなければなりませんでした。アルミ製クランクやカートリッジ・ベアリング、カンティ・レバー・ブレーキなど、現代にも通ずるさまざまなアイデアが生まれたのもこの時代のことです。

そんなコンクール・マシンも1949年以降は途絶えていましたが、昨年に有志によって復活を遂げ、18のフレームビルダー&工房がエントリーしました。2016年のコンクール・マシンでは、ライトと雑誌を運ぶためのキャリアの装着が必須。軽量化のほか、オリジナルのパーツや機構に加点があります。参加条件は「フレームビルダーであること」。大手ブランドやショップではエントリーできません。あくまでも、フレームビルダーが腕を競う場、というスタンスもユニークですね。



審査員の一人、フランスの自転車ツーリング文化史の研究家レモン・リー(Raymond Henry)にご挨拶。彼は文化的側面を研究するだけでなく、フランス全土をブルベやツーリングで走りつくしているベテラン・サイクリストでもあります。

初対面でちょっと緊張していたのですが、私がバイシクル・クオータリーに書いた北海道ツーリングやカスケード山脈でのサイクリングの記事を「あれって、サイクリングの本質だよね。会えて嬉しいよ!」と、気さくに話しかけてくださって嬉しかった! 使用感たっぷりの私の自転車を見て「うんうん。乗ってるとこうなるよね。僕のもそんな感じ」と笑顔です。



ちょっと脱線しましたが、2016年のコンクール・マシンは、約260km、獲得標高差4000m超えの舗装路メインのコースに加え、約70kmほどのグラベル中心のコースなど、かなりハードなルートを走って自転車のテストが行われます。このコースを完走するだけでも結構ハードだと思うのですが、そこは自転車ツーリングに加え、ブルベやレースも盛んなフランス。各ビルダーの馴染みのライダー達はみな、余裕の表情です。なかには、自ら走るというフレームビルダーも。私も「えっ、明日は走らないの?」と、ちょっと驚かれたぐらいです。



バイシクル・クオータリーの編集長であるヤンは、2016年“走れる” 審査員として参加。写真は夜明け前のスタート地点にて。お隣にいるのは、ヤンのよき友人であり、パリ・ブレスト・パリを50時間切りで走るすごいブルベ・サイクリストでもある、ビクトール。ジルベルソーのチームで走るそう。



私は主催者のサポートカーに同乗させていただき、各チェックポイントを巡ります。みなさん、がんばってくださ〜い! 



最終チェックポイントだったCol des Supeyres(標高1366m)。次々とライダーが駆け抜けていきます。みなさん、ここまででも200km近く走っているはずなのに笑顔です。楽しそう!

ちなみに、コンクール・マシンはスピードだけを競うものでもありません。というのも「速ければいい」というルールを作ってしまうと、強いライダーを連れてきたフレームビルダーが有利になりすぎてしまうから。レースとはまた少し、違うのです。美しいだけではダメ。けれど、速く走れればいいというものでもない、というから面白いです。



そんなわけで、チェックポイントを最初に通過する方から最後に通過する方まで、結構待ち時間がありました。走っているみなさん、すいません。絶景のカフェでランチしちゃいました。ふふ。



翌日のグラベルロードの走行後には、フレームや各パーツに破損や不備がないか入念なチェックがありました。キャリアに破損があったり、リアディレイラーが外れた……なんて自転車も。それほど、ハードなコースだったということですね。

気になる結果は……バイシクル・クオータリーをご覧ください♪ ちなみに、私のお気に入りはコチラのカーボン&ステンレスを使ったCyfac。プロレーサーにも愛好家がいるというCyfacが泥よけキャリア付きのオールロードバイクをデザインすると、こうなるのですね。カーボン製の泥よけもとってもエレガント。ちなみに泥よけはフォークやシートステーと一体になっているので何かあったら修理が大変そうですが、そこはショーモデルということで。仕上げもとても美しかったです。



そして、ユニークな発想でキャリアとフォークを一体化させたコチラのペシュトレゴン。フレームビルダーのマチューは工業デザインが得意というだけあって、ユニークな形状のフレームをカラーリングも含めて、とてもセンスよくまとめられていました。ちなみに、ブランド名のペシュトレゴンは、彼の住む村の近くにある峠の名前なのだとか。峠越えサイクリングが好きな私。かなりグッときました。



そして、見ているだけではつまらない! ということで、コンクール・マシン終了後に私もちょっと走りに行ってきました。街からほんの少し離れただけで、のどかなヨーロッパの田舎町といった風情に出会えるから嬉しいですね。



アンベールにて。ちなみに、道路標識に斜線が引いてあるのは「ここで終わり」の印。余談ですが、フランスは道路標識がとてもしっかりしていて、ツーリストに優しいな、と感じます。ミシュランの地図だけでも、かなり綿密にプランがたてられました。




そんなわけで、ざっくりとご紹介したコンクール・マシン。2017年も出かけてきます。私は昨年同様に取材とサポートですが、今年のヤンは審査員としてではなく参加者として走ります。審査員として参加した昨年とは、また違ったレポートをバイシクル・クオータリーでお届けできると思いますので、お楽しみに!

※フランス語の発音でいくと“コンコル・ド・マシン”が近いのですが、昨年ヤンが寄稿した『スペシャルメイド自転車ランドナーの本』(2016/10月発売・エイ出版社刊)にて、コンクール・マシンと訳されていましたので、統一しました。コンクール・マシンの歴史については、スペシャルメイド自転車ランドナーの本での寄稿記事が詳しいです。

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